ストーリー
祖母が、そして夫が突然死へと旅立った。愛する人を次々と失った記憶と引きとめることができなかった悔恨を胸に秘め、ゆみ子は奥能登に嫁ぎ、新しい家族に囲まれて平穏な日々を送るがー 。
ゆみ子が12歳の時、祖母が失踪した。ゆみ子は自分の祖母を引き止められなかったことを深く悔いている。
25歳になって、その祖母の生まれ変わりのように登場した郁夫と結婚したが、その時のことが、夢になって今もゆみ子を苦しめている。息子の勇一も生まれ、幸せな日々を送るある日、郁夫は自転車の鍵だけを残して自殺する。祖母、そして郁夫、大事な人々を次々と見送ってしまったゆみ子。
5年後、ゆみ子は日本海に面する奥能登の小さな村に住む民雄と再婚する。先妻に先立たれた民雄には、娘の友子がいた。春が過ぎ夏が来て、勇一と友子は仲良くなじみ、ゆみ子にも平穏な日々が続いている。だが半年後、弟の結婚式のために里帰りしたゆみ子は、再びいやおうなく郁夫への思いにとりつかれる。
冬のある朝、漁師のとめのがゆみ子に蟹をとってくると約束して舟を出した。静かだった海は次第に荒れてきて、夜になってもとめのは戻ってこない。ゆみ子の心は凍てつく。また自分は人を死へと見送ってしまった。やがて、とめのは無事戻るが、ゆみ子の心は晴れない。
郁夫の思い出である自転車の鍵を、民雄に見咎められたことをきっかけについにゆみ子は家を出る。折から、葬列の鈴がゆみ子を死へといざなう。海辺の岩場で燃える柩の火をみつめ、たたずむゆみ子。追ってきた民雄も静かにゆみ子の後ろ姿をみつめている。
やがて、ゆみ子は初めて民雄に打ち明ける。「なぜ、郁夫が自殺してしまったのか、未だにわからないのだ」と。「漁師だったオヤジが言ってた。海に誘われるのだ。沖の方にきれいな光が見えて自分を誘うんだって」民雄は言った。「誰にもそんな瞬間がある」
再び春が来て、今やっと新しい家族が生まれようとしている。
コメント
「再上映にあたって」
プロデューサーからのコメント
「あれから29年になりますか…」スタッフの多くは感慨深げに言う。「『幻の光』の映画化権をください」と宮本輝邸を訪問したのは1992年、その訪問から映画公開までは4年近くの歳月を要した。監督も新人、主演俳優も新人、もとよりチームを牽引するプロデューサーである私も映画界ではズブの素人であった。その新人たちに、映画の扉は硬く閉ざされたままで、出資も配給も全く目途がたたずただ日々が過ぎていった。「この企画はあきらめるべきかもしれない」とひとり断念の旅をと、輪島に向かった。「こちらでやれることは応援しますよ」立ち寄った観光協会のHさんは軽々と言った。その瞬間から映画『幻の光』は、まぼろしでなく、現実に動き出したのだ。Hさんは我々と共に主人公の家を輪島市の外れの港町に見つけ出し、その廃屋を映画用に改築する大工さんを探し出してくれた。朝市組合は、全面協力を申し出てくれ、旅館や民宿はギリギリの宿泊費で撮影隊を受けいれてくれた。厳寒の撮影に冷え切った身に観光旅館の裏口から入って使わせてもらった温泉のありがたさ、婦人会による炊き出しの味噌汁の温かさは、生涯忘れることはないだろう。
そして、今年の正月のニュースに声を失った。朝市通りは消え、主人公が暮らした港町は孤立化している、という。「私たちにできることはないか」と考え抜いた結果が今回の再上映だ。映画の中にのこされた「輪島の美しさ」を多くの方に観ていただくことで、復旧支援の輪を広げよう、と。
また、新人を盛り立てようと立ち働いてくれた数十名のスタッフ、それをごく自然に支えてくれた輪島の人々、そのやさしさの数々が映画には確実に映っている。「能登はやさしや、土までも」という言葉があるそうだが、今改めて芯からそれを実感する。私は、「輪島の方々の応援がなければ、映画は完成しなかった」と確信している。
29年前の日々は遠いけれど鮮明だ。今回の上映が「美しく、やさしい輪島を応援しよう!」と声をあげてもらう機会につながれば、それは『幻の光』チーム全員の大きな喜びである。
プロデューサー 合津直枝( 『幻の光』で藤本賞、監督作『落下する夕方』で新藤兼人賞銀賞を受賞)
原作者・出演者・スタッフからのコメント
四十六年前「幻の光」という小説を書くために吹雪の能登の海に沿った道を歩いた。
そこからたくさんの心が生まれてきたのだ。
小説家 宮本輝
自分の映画監督のキャリアは輪島から始まりました。今回の上映が、映画の中に描かれた朝市や海岸線の風景や、そこに暮らす人々の生活を取り戻す一助になれたらと強く思います。
監督 是枝裕和
映画『幻の光』には元気な、能登、輪島があります。映画は文化です。私達はもっともっと映画を観なければいけません。映画『幻の光』を幻でなく現実のものにするのは僕たちです。僕たちの力で『幻の光』を生き返らせましょう。そしてそれが復興の一助になれば。
俳優 柄本明
『幻の光』撮影時は学生で3rd助監督でした。初めて経験する撮影現場で、人生で初めて輪島を訪れました。圧倒的な景色、いまだに目に焼き付いています。極寒の撮影現場に差し入れていただいたワカメスープ。本当に心も身体も温まりました。
THE SEVEN CCO/プロデューサー 森井輝